2011-04-02(土) [長年日記]
_ E.W.サイード『知識人とは何か』(平凡社ライブラリー)
昔単行本を買ってたような気もするけども平凡社ライブラリー版で読む。
1993年にBBCのリース講演でサイードが講演した内容。
その当時ですでに陳腐化しつつ「知識人」について、知識人は何を代弁すべきかを語ったもの。
ちょっと長いが、気になったセンテンスをメモっておく。
わたしが主張したいのは、知識人とは、あくまで社会のなかで特殊な公的役割を担う個人であって、知識人は顔のない専門家に還元できない、つまり特定の職務をこなす有資格者階層に還元することはできない。
大衆に迎合するだけの知識人というものはそもそも存在してはならない。知識人の語ることは、総じて、聴衆を困惑させたり、聴衆の気持ちを逆なでしたり、さらには不快であったりすべきなのだ。
その根底において、けっして調停者でもなければコンセンサス形成者でもなく、批判的センスにすべてを賭ける人間である。つまり、安易な公式見解や既成の紋切り型表現をこばむ人間であり、なかんずく権力の側にある物や伝統の側にある者が語ったり、おこなったりしていることを検証も無しに無条件に追認することに対し、どこまでも批判を投げかける人間である。ただ単に受け身の形で、だだをこねるのではない。積極的に批判を公的な場で口にするのである。
これは知識人の使命を政府の政策に対する批判者に限定することではない。むしろ、たえず警戒を怠らず、生半可な真実や、容認された観念に引導を渡してしまわぬ意志を失わぬことを、知識人の使命と考えると言うことだ。
フランツ・ファノンによれば、原住民の側に立つ知識人の目標は、白人の政治家の後釜に原住民の政治家をすえることだけではない。(略) なるほど知識人が民族存亡の危機に瀕した共同体を支援することには、計り知れない価値があるにしても、知識人が生存のための集団闘争に忠誠を尽くすことは、批判的感覚の麻痺や知識人の使命の矮小化につながりかねないので避けるべきなのだ。知識人にとってなすべきことは、生存の問題を超えて、政治的解放の可能性を問うことであり、指導層に批判をつきつけることであり、代替的可能性を示唆することである。たとえ、この代替的可能性が、いつもまぢかにひかえた戦いには無関係なものとして周辺化されたり一蹴されるとしても。虐げられた者たちのあいだにも、勝利者と敗残者がいるため、知識人が、凱歌を上げて勝利の行進をする集団の側にだけ忠誠をつくすようなことがあってはならない。
知識人の老獪なふるまいのなかでもっとも姑息なのは、他民族文化における悪弊を声高に告発しておいて、そのくせ自民族文化におけるそれとまったくおなじ悪弊には目をつぶるというやり方である。
(ここでサイードは、トクヴィルがアメリカの民主制を評価しつつインディアンや奴隷制度を厳しく批判していたのに、フランスのアルジェリア政策には口をつぐんでいたことを批判している)
自分のアイデンティティならびに自分が属する文化や社会や歴史の実際のありようと、他社のアイデンティティや文化や民族の現実とを、いかに和解させるかが基本的問題になってくる。この場合、すでに自分が属するものを優先させるような姿勢をつらぬこうものなら、和解などとうてい望めない。「われわれの」文化の栄光についての、あるいは「われわれの」歴史の勝利についての鳴り物入りの宣伝は、知識人が心血をそそぐような行為ではない。とりわけ、自国民を顕彰するような、このような還元化は、多くの社会が異なる人種や民族的背景からなりたっている現代社会において、およそ実情にそぐわない。
(特定の思想や体制を崇拝することにたいして)
いかなる種類の政治的な神であれ、わたしはこの神に改宗・転向したり、この神を崇拝することには断固反対である。転向も崇拝とともに、知識人の行動にふさわしくないと考える。もちろん、だからといって、知識人は水辺にいて、ときおり足下を水に浸すことがあっても、おおむね体を濡らさないようにすべきであるなどというつもりはない。(略)
知識人にとって、情熱を燃やして関与することが、リスクをひきうけることが、真実を暴露することが、主義や原則に忠実であることが、論争において硬直化しないことが、世俗の様々な運動に荷担することが、とにかく重要であるということだった。たとえば、わたしが専門家とアマチュアのあいだに想定した差異とは、まさにこれである。つまり専門家は自分の専門という基盤にたったうえで冷静な判断を下し、客観性をおもんずるのに対して、アマチュアのほうは、褒賞とか将来の経歴に関わってくる業績求めようとしないだけに、公共の場で誰かれにはばかることなく思想なり価値観を表明したいと望むのである。
サイードもスーザン・ソンタグも亡くなって、何かの時に発言を気にするような人がいなくなった気がする。