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煩悩日記

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2010-10-22(金) [長年日記]

_ 内田樹+平尾剛『合気道とラグビーを貫くもの - 次世代の身体論 -』(朝日新書)

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これも先週読んだもの。内田樹が神鋼コベルコスティーラーズのファンで、個人的親交もある平尾剛と、ラグビーと合気道(というか武道)で通じるところを話しながらスポーツ論を。まあラグビーと合気道の組み合わせにはあまり意味がないのだけど。

書いてあったことで気になった論旨を以下に。同じように、要約しているので趣旨が伝わらなかったら責任はわしに。

イチローの話など

フィールドだと観客達の思念が選手に伝わるときがある。伝わって思い通りのプレイが出たときは一体感があり、外れたときはブーイングになる。それは観客側の一方的な思いではなく確かに伝わるときがある。
イチローがフライをボールを見ないで(見なくても)捕ることを目指していると言っていたがフィールドであれば観客からの思念(「いまだ、振り向け!」みたいな)にも頼れるのでは。

それとちょっとずれて

ボールをよく見ろとよく言うが、ボールを見てたら視線から相手に丸わかりなので、よく見ろと教えるのはいいやり方ではない。

いや、これは多分凝視しとけということではないとは思うのだけど。でも今ある場所を知っておけというよりは、「ここに来るはずだ」とか「あそこに行くから寄越してくれ」という感じで動くものならずっとウォッチしてる必要はないよな。

こちらはよく言われることだけども・・・

イチローは目先の成績や凡打かヒットかと言うことよりも自分の納得がいくプレイ(体の使い方やタイミング)を重視する。
今のスポーツだとどうしても点数で評価してしまう。
ラグビーだと皆役割が違うのでそれぞれ専門家としてチームワークを働かせないといけない。野球だと守備の間はいいが、攻撃の際はバッターとして一人ずつ働くのでどうしても打率の善し悪しで評価されてしまい、数値化できないチームワークが評価されない。

フィールドをスキャンする

うまい選手を評して、「スキャン出来ている」と言った解説者がいた。
スキャン出来ているとは、自分を含めてフィールドを上から俯瞰的に眺めて周りの動きが見えていることを言っている。

時間をフライングする

私の身体は頭がいい』でも書かれていた話。

早い拍子で「体を割って」いくと、相対的に時間が遅くなるので、拍子の数が同じでも結果的に相手より先に動きが終わり、時間をフライングすることになる。
正面で待ち構えてタックルしようとしても、防げない相手、見失ってしまう相手というのはこういう動きの差がある。

武道では強弱勝敗を論じてはならない

武道は心身の能力を最大化することが目的なので、結果を人と比べても仕方がない。
点数や段位はモチベーション維持のための方便であって、目的ではない。
人を批判しても自分はうまくならない。
イギリスのスポーツは歴史的に見ると、大英帝国で植民地を管理することになる子息達同士の対戦なので、鍛えるのが目的であって内輪で争っても仕方がないという風潮がある。
ラグビーの「トライ」は元々ゴールキックに挑戦する権利を獲得するだけで、トライ自体は0点だった。昔はゴールキックも入りにくかったので引き分けも多く、ノーサイドは決着がつかないゲームを終わらせるためのものだった。

ウェイトトレーニングについて

全体のバランスが大事なのに、筋肉の部位ごとに鍛えようとするトレーニングは間違っている。

筋肉バカなサッカー選手では競り合いに勝てず、スタミナも持たない。むしろハムストリングを鍛えて体幹をしっかりさせるべきと言う話をしていた大武ユキ『フットボールネーション』を思い出した。

筋肉が大して無いように見えるのに疲れずに荷物を運べたりするというのが、無駄のない力のいれ方をしているのでむしろ理想系。

うまい選手はコーチに向かない

勘がよくて器用に出来た選手がコーチになった場合、出来ない選手がなぜ出来ないのかが理解できない。
わからないから、根性論になってしまう。

なんか『なぜ、「できる人」は「できる人」を育てられないのか?』に通じる話だなあ。(まああの本は読んでみたらイマイチだったのだけど)

気持ち悪さを早く感知する

身体を鍛えるのは、「気持ち悪さ」を早く関知する能力を身につけるはずのもの。
それなのに、スクラムや訓練で気持ち悪さを感じたときに避けると「逃げるな」と根性論になるのは、気持ち悪さを鈍感さで我慢させることであって、鈍感さを育ててどうするのか。
練習量が多いほど根性があると評価するのも同じ(身体的な辛さを評価する発想)。
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