2011-03-20(日) [長年日記]
_ 内田樹『増補版 街場の中国論』(ミシマ社)
2/25に買っていたの震災後に読み始めて読了。
昔出た『街場の中国論』の冒頭に60ページほど追記された増補版。前のバージョンは読んでなかったのではじめて読むのだけど、断片としては他の著作でも書かれている議論が多いのですっと頭に入る。
気になった点を上げはじめるときりがないのでポイントを絞るが、前書きを読んでるだけでおよそ感覚はつかめるが。
- 前書き
- 日本の政治は安定していて負けしろが大きい。政府が多少の失策をしたり無能であってもテロも飢饉も起きない。
- 中国指導者は逆に失点が許されない状況で指揮している。そこから取る選択はどうしても変わって来る(威信を守る行動にでるとか)
- 日本からみて中国の行動は不合理だとしても彼ら自身にとっては合理的なはずであるから、どう合理的なのかを考えた方がよい。
- Ⅰー1章 尖閣問題・反日デモ・中華思想
- 反日デモで何を言いたいかを考える。反政府デモは禁止されているので反日デモに便乗する形でないとできない。
- 好き嫌いで外交を論じるのは止めませんか。
- Ⅰ-2章 中国が失いつつあるもの
- グーグルを禁止するのは、中国の技術・研究のマイナスになるからやめたほうがよい。
- Ⅰ-3 内向き日本で何か問題でも?
- 日本国内向け(の技術など)は内向きでよくないと言うが、国内でめしが食えるならいいじゃない。
- ノキアが世界市場を相手にしたのはフィンランド国内市場だけでは食えないから。
- 世界に打って出るのは国内だけでは食い詰める危機感がある場合。危機感が伴わないで世界標準だけ謳っても形骸化する。
- 手本としてフィンランドなど500万人程度の国の事例を持ってきても同じ統治手法は日本で使えない。規模のファクターを無視してフィンランド・日本・中国を同じようにできるという議論は乱暴。
- 英語で国際化と言って日本相手にアピールしているのは内向きなだけ。
- Ⅱ-1 チャイナ・リスク だれが13億人を統治できるのか
- 中国政府は13億人をうまく統治できるかちゅう目されており、統治能力が無いとみなされることだけは避けないといけない状況にある。そのため、反日デモもある程度騒がせたら抑えにかかるはずである。おめこぼししてるのであって制御出来ないと思われたら困るから。
- とりあえず中国に望むのは、民主的でなくてもいいからうまく統治してくれること。逆に、統治に失敗して内乱が起きたりボートピープルが大量に発生したりするのは望まない。つまり中国政府が妥当されることもあまり好ましくない(隣国に暮らす人間としては)。
- Ⅱ-2 中国の脱亜欧入
- アメリカが望むのは東アジアの適度な緊張(戦争が起きない程度の)と不信感であり、日中韓が接近することはアメリカが望むところではない。従って接近するとくさびを打ちに来る筈である。
- A級戦犯もアメリカが決めたのに参拝することをアメリカは咎めない。参拝して日中間がギスギスするほうが国益にかなうから。
- Ⅱ-3 中華思想
- 華夷秩序のもとでは、中心から遠ざかるにつれて王化レベルが少なくなるだけであり、明確な境界はない。中華思想では明確な国境線を忌避する。日清戦争の時に朝鮮を宗主国のない独立国と言ったり中国が面倒を見る必要があると言ったりしたのはそのため。(尖閣も、国境を明確にしようとすると反発する。明確にせず時間が経つのをまつ)
- Ⅱ-4 もしアヘン戦争がなかったら
- 当時の日中の出遅れの違いは何かと考えたときに中国は中央集権で、日本は藩に分かれていたことが大きいのではないか。各藩それぞれが独立採算で首長がいて武力があった。つまりそれだけ統治の機会とその育成制度があった。いつでも指導者になれる候補が多いことを意味する。
- なので、道州制と言わず廃県置藩で自治体を小さくしてはどうか。
- Ⅱ-5 文化大革命
- 近代中国史において大きな成功体験は乏しい。唯一抗日対抗統一戦線だけが国民的統合の成功の記憶となっているので、日本がたとえ軍事的進出を思想になくても、折を見て反日を掲げることで成功体験に立ち戻って統合を図ることになる。
- Ⅱ-8 台湾
- 台湾が独立を言い出したら武力行使も辞さずといってはいるが、実際に戦争になったら困るのは中国。国境を明確にするより今のまま曖昧なまま(お互いに主張するだけ)の状態が続くのが中国にとって望ましい。
- Ⅱ-9 中国の愛国教育
- 1972年の日中国交正常化の時には、周恩来は日本に賠償金を請求するのを放棄して「日中人民は日本軍国主義の被害者である」というレトリックを使った。その貸しがまだ残っていて、中国内が不安定になると「日本軍国主義」を攻撃するガス抜きを大目に見るという暗黙の了解があるのではないか。
- Ⅱ-10 在日留学生に見る愛国ナショナリズム
- 1903年の人類館問題。日本領土内の各民族としてアイヌ、支那、朝鮮、インド、琉球などを展示していたのを見た留学生の抗議。しかしそれは「中国人を差別するな」ではなく「朝鮮やインドと同列にするな」という視点だった。
- 纏足が取り上げられていたのも、取り上げられていたのが本土の人間だったらまずいが台湾人だったらいいか、という自国内の差別意識。
- 人類館の展示は、世界を一望する視点から見下ろしたいという欲望にそっている。土人などを分類するのは、みな同じ人間であるという理解の元で優劣をつけている。
- ボルヘスが取り上げた中国の動物の分類の話。それが奇妙に感じるのが近代の視点(より正しいという意味ではないが)。人類館の分類はボルヘスが取り上げた視点とは大差がなかった。中立な視点出物を見てるつもりのと時に入るバイアスが、その人の視点の偏りを明確にする。
内田樹の言い回しに依存する視点が欠落するのは仕方ないところか…。
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