2010-10-05(火) [長年日記]
_ 内田樹『寝ながら学べる構造主義』(文春新書)
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2002年の本。8年間で30刷。
現代思想のことをほとんど知らない人を想定して説明をした構造主義の本。
内田樹の本を読んでると何度か出てくる話だが、専門家が専門家のために書いた本は内輪っぽい目配せが多かったり「知っての通り」と言いながら顕示するようなことを書いたりと言うのが多くてつまらないというところから書きたいと思っていたという初心者を想定した入門書。
マルクス、フロイト、ニーチェを前振りに、フーコー、レヴィ=ストロース、ソシュール、バルト、ラカンを紹介。
それぞれの思想のエッセンスを紹介しているが、細かいことは知っておいた方がよいものの、大きく二つのことは「今」のものの見方として重点を置かれていると思われる。内田樹がよく書いていることだけど。
ひとつは「どちらかが正しい」というのではなく「それぞれの集団にはそれぞれの正義や考え方がある」というような考え方自体が普及したのが最近であるという説明。つまり、価値体系や考え方・常識自体が地域・集団や時代の制約のもとにあるというのはもはや現代思想を勉強して初めて知ると言うものではなく、すでに構造主義的なものの見方の一部が広まっているということ。
もうひとつは、今「こうなっている」制度や習慣について、今の視点で過去を振り返って「昔からこういうものだった」「昔は間違っていたがだんだん間違いが正されて今の形に向かってきた」という歴史主義的な見方では隠されてきたもの、忘れられてきたものが見えない。それぞれの時代・場所ではそれぞれの原理に従って正しくて、またそれぞれの時代でものの見え方が異なっており身体性までも違っていたという系譜学の視点。
すでにマルクス、ニーチェが先鞭をつけていたことではあるけども、今の視点を特権化できない(制約の下にあると言うことを指摘している自分も制約の下にあり、一番後からきて過去を見ているからと言って一番正しくものを見れるとはいえない)という自己否定にもなりそうな状態でものを見ることは今や避けて通れないというのは何度も出てくる話ですね。
内田樹がよく言う言い回しだと「民族的奇習」から離れて見ないといけないということになるけども。