2011-04-26(火) [長年日記]
_ 内田樹『映画の構造分析 − ハリウッド映画で学べる現代思想』(文春文庫)
気がついたら文庫入りしていたので早速購入(読むもの切らしていたし)。
『裏窓』『大脱走』『ゴーストバスターズ』などから。
話はおもしろいし、『裏窓』については別のものを際立たせる代わりに隠されているもの(気づいてないことに気づかせていないもの)の話もあっておもしろいのだけど、その、精神分析や現代思想の事例に当てはまるのは、そういう物語のひな形を意識して作成されているのではないかと、いつも考えてしまう。そうすると、映画は監督(だけの)ものではないとか、「作者の死」と言いつつも「ヒッチコックが語っているヒッチコックの意図」に依拠するのはどうなのかという気がする。
『アメリカン・ミソジニー - 女性嫌悪の映画史』は他の本でも収録されていたのですでに読んでいる。
この論考は、『私を野球につれてって』などに始まる女性嫌悪、男だけの社会に割り込んでくる女性を排除するストーリーがアメリカ映画に多いことについて、西部開拓では女性比率がすくなくて女性を得られる男が少なかったこと、自分たちの仕事の能力に関係なく女性を手にする男と手に出来ない男がいたことから、女は男社会の和を乱すものという思考があり、西部開拓時代が終わり、カウボーイがハリウッドに再就職する時期と、女性嫌悪映画が量産し始める時期の符合に着目する。まあ、証明は出来ない気がするけども。
それと「ミソジニーは欧米の病理」のように解釈する批評について、「アメリカ固有の病理を西欧ひいては世界の病理のようにみなしてしまうアメリカ人の思考」にも言及。ここで参考になるのは「アメリカ人はアメリカ中心である」ということではなく「自分たちの共同体の出来事」を自分たちに固有のことだと考える欠けているということ。しかし、日本の言論を見ていると逆に何かと「こんな変なことをするのは日本だけ」という話が多い気がする。これも「辺境的ふるまい」かもしれないなあ。
_ 『ブラコンアンソロジー Liqueur リキュール』
ブラコン姉・妹のアンソロジー。
カトウハルアキ『夕日ロマンス』、日坂水柯『くすりゆびさき』、水上悟志『わにあに』あたりがよい。
水上悟志のは、なぜかワニになってしまった兄に尽くす妹。もはやブラコンと呼べない気がするが…。
微妙な距離感で、べたべたしてもあやしまれなくて、でも本気の気持ちは言えなくて、壊れるなら今のままの方がいい、とかいうバランスがいいと思うのに、「兄妹で好きなのは自然で当たり前」的なハードル下げすぎた設定の作品はいまいち。