2010-10-02(土) [長年日記]
_ ブランドン・サンダースン『ミストクローク - 霧の羽衣(1) 新たな救い手』(ハヤカワ文庫SF)
Amazon
「ミストボーン」は第三部「ミストクローク」へ(といってもタイトルを変えてるのは日本語訳の世界でだけど)。
前の巻で、「即位の泉」で瀕死の重傷を負ったエレンドを助けるために泉の力を解放したヴィン。エレンドは「霧の落とし子」になったかわりに、泉からは「<破壊>神」が外の世界に脱出してしまう。アレンディに関する記録は泉を解放してはいけないと書かれていたのに、破壊神によって書き換えられていたのだった…。
という状態で、支配王の死後、灰や霧がひどくなって来たため、支配王は何らかの方法で抑えていたことがわかってくる。
破壊神や霧に意志があるだろうということはヴィンぐらいしか信じていないのだが、悪くなる気象をなんとかするために支配王が残していったものを探すエレンド達。その倉庫を暴くために、べつの都市に対して戦を仕掛けなければいけないエレンドと、他のやり方はないのだろうかと思い悩むヴィン。
誰か特定の個人を倒したら事態が改善するわけでもなく、やる気を出せば解決するわけでもなく、それでも状況に対して抵抗を続けるエレンド達がうまく描かれているのはいつも通り。
最後のヴィンの台詞は笑ったが:-)
_ 内田樹『私家版・ユダヤ文化論』(文春新書)
なぜユダヤ人は迫害されるのかを論じた本。
元々は養老孟司との対談『 逆立ち日本論 』で存在を知ったのだけど、紀伊國屋書店の内田フェアで並んでたので。
欧米でのユダヤ人迫害の「理由」や「歴史的経緯」を語ってるわけではないが、ユダヤ人とほとんど接点が無かったはずの日本でユダヤ人排斥論や陰謀論が輸入された経緯は描かれている。(日本人-ユダヤ人同祖論とか)
ここで出てきた資料は本書が初めて取り上げたものではないけども、日本でユダヤ人同祖論を最初に出版したのがイギリス人だったとか、シオンの議定書がナポレオン3世批判の剽窃だとか、混乱に対するユダヤ人陰謀論の流れは、理解する上でまとまってて役に立つ。
「日本辺境論」や「街場のアメリカ論」でもでてきた「自分たちの民族的奇習」をいったん忘れて相手の奇習を見る必要があり、同じ次元で考えてはいけないというところは内田樹読者にとってはなじみやすいアプローチである。
「正しい考え方はこうだ」「真相はこうだ」とならないのが内田樹らしいが、最後には内田樹なりの結論がでている。でもちょっとこれが荘なのかがしっくりこない。「ユダヤ人」が「ユダヤ人社会」の中で育っていればその振る舞いや自分に対する規律がみんなに行き渡るのはわかるが、住んでる土地もばらばらになってもそのような奇習というか振る舞いが引き継がれるものなのだろうか?
まあ、内田樹に対する質問ではないのだけど。
内田樹の本は、語れている知識ではなくて考え方や自分の考え方に対する疑問の立て方という身振りがお手本という感じ。